2017年7月3日月曜日

月例「下町はしご酒の会」山谷~浅草編① 暖簾の向こうは時間が止まったようなタイムスリップ感。昭和大衆酒場「大林酒場」でエンジンを暖める

毎月一回開催の「下町はしご酒の会」
今回は山谷です。


山谷といってもそれは通称。
大阪のあいりん地区同様、日雇い労働者が集まる簡易宿泊所が並ぶドヤ街ですが、今は住居表示の変更により、日本堤清川東浅草あたり、「あしたのジョー」でも知られる泪橋の南側一帯。
吉原遊郭、今はソープ街のある千束にも隣接し、独特の雰囲気があるエリア。

「あしたのジョー」の丹下ジムは泪橋の下にある設定。
作中に出てくる「泪橋を逆に渡る」とはこのエリアから這い上がることを意味しています。
江戸時代、小塚原刑場近くにかかっていた泪橋は、罪人にとってはこの世との最後の別れの場であり、家族や身内の者にとっては、処刑される者との今生の悲しい別れの場。
お互いがこの橋の上で泪を流したことから、この名が付けられたと言われていますが、今は暗渠となっていて、交差点やバス停にその名が残るのみ。


日比谷線三ノ輪駅で待ち合わせ。
今日の参加メンバーは3名です。


大関横丁の交差点からタクシーを拾い、その泪橋を右折して410円のワンメーター。
非常に存在感のある店構えが見えます。


大林(おおばやし)酒場
年季の入った大きな暖簾。
その上には白雪とキリンビールの看板が掲げられ、木造建築物としても実に貴重。
店内は、撮影はもちろんスマホを触るのも厳禁です。


暖簾をくぐり、引き戸を開けると天井の高い広々とした空間が広がります。
コンクリ打ちっぱなしの土間、大きなコの字のカウンター。
カウンターの中も広々としていて、そこに気難しい顔をしたご主人が立っています。
この時間、私たちしかお客はいませんでした。

まずは瓶ビールを注文します。
本数を言わなかったのですが、2本出てきました。
3人だからこれくらい飲むだろう、ということでしょうか。
白菜の漬物がお通しで出てきました。

カウンターの奥の厨房との間の壁に貼られたメニューを眺めます。
大きな白い紙に達筆で書かれた料理や酒。
黒板にもいくつかのメニューがありますが、重複もあるようです。

煮凝りシュウマイもつ煮を頼みました。
ご主人が厨房に声をかけ、奥から女性の声で返事がありました。
程なく出てきた料理は、それなりに量もあり、一人では食べ切れないほど。

他にお客さんがいないせいもあって、静かな時間がゆっくりと流れていきます。
昭和な木造建築の広い空間で、入口の角に置かれたテレビの地デジの映像だけが、今が平成の世であることを知らせてくれます。

私は二杯目を焼酎ハイボールに切り替えました。
ナミナミと注がれた甲類焼酎に下町炭酸を入れます。
ナカが多くて、炭酸が一本入りません。

I君は焼酎ミルク割りが気になって、チャレンジ。
一体どんなものが出てくるのか、と思っていると、氷入りの甲類焼酎と、グラスに入った牛乳が別々に出てきました。
そのものズバリ。
飲んでみると、これは中々に旨い。
胃に膜が張るので、酔いにくいかもしれないけれど、飲みやすいから却って危険かもしれません。
そんな会話をする我々を見るご主人は
「結構美味しいでしょう」
と、この時ばかりはちょっと茶目っ気な笑顔を見せました。

もう一品、玉子焼き
三日月のオムレツ風で出てきました。
砂糖が効いた甘めの玉子焼きは、いかにも東京っぽい。


いつの間にかひとり酒のお客さんが二人。
黙々と飲むので、やはり店内にはテレビの音しか響いてきません。

目の前の煮凝りを見ると、最後に残った一個が溶けかけていました。
そういえば、この店にはエアコンがありません。
入店した時に大将がうちわを人数分貸してくれましたが、文明と距離を置こうとしているのでしょうか。
携帯やスマホを禁止するのもそういうことかもしれません。

開け放たれた木枠の窓の外には、ハエ取り紙が軒にいくつも吊るされていました。
何十年ぶりに見たでしょうか。

お会計を済ませて、ご主人に謝辞を述べ、外へ。
あたりはすっかり暗くなっていました。

頑ななまでに昭和の酒場を守るご主人。
脚がお悪いのが少し気がかりでした。


店の前の通りの正面にはスカイツリー。
山谷の風景もすっかり変わりました。


大林酒場居酒屋 / 南千住駅三ノ輪駅三ノ輪橋駅
 
夜総合点★★★☆☆ 3.5





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